私は「Philosophy of Kintsugi(金継ぎの哲学)」という英語の記事を、2023年5月に書きました。
金継ぎの歴史、侘び寂びとの関係、うるしの特性、日本人と海外の方の間の金継ぎ観の違い…。
その時の自分の考えを改めて読むと、自分にとって出発点となる記事だったと思います。
それから数年経ちました。
その間、つぐつぐとして数千点の器を修理し、何百人もの方に金継ぎを教え、2025年11月には初めて京都で16日間のイベントを行いました。
たくさんの人と出会い、たくさんの学びを得て、私の考えはアップデートされていきました。
そして、以前の記事だけでは、今の私の考えのすべてを伝えられていないと、強く感じるようになりました。
特にここ数年の大きな環境の変化の一つとして、AIが急速に普及しました。
「AIに何を任せて、どこからが人間の仕事なのか」を多くの人が真剣に考え始めているように思います。
そんな世の中で、金継ぎはどんな意味を持つのかなぁ。これからも必要とされるのかなぁ。
京都の京町家での16日間に起きたある出来事を起点に、改めて、
金継ぎに求められること、金継ぎの哲学、そして「AIと金継ぎ」の関係について、
今の私の考えを整理してみたいと思いました。
金継ぎと哲学の記事(英文):https://kintsugi-kit.com/blogs/tsugu-tsugu-columns/philosophy-of-kintsugi
第1章 人はなぜ金継ぎを求めるのか

2025年11月1日〜16日まで、私たちつぐつぐは、京都で初の期間限定の金継ぎイベントを行いました。
築百年以上の京町家を改修した、京都の登録有形文化財「明治京町家」の一室をお借りし、期間中毎日うるしを使った伝統金継ぎワークショップを開催しました。
長い年月を経て受け継がれてきた町家と、室町時代から500年以上続く金継ぎの技が出会い、「直して残す」という共通の想いから生まれた企画でした。
イベントに訪れるお客様は京都に住む日本の方もいましたが、ほとんどは海外からの旅行者や京都に短期で滞在している方たちでした。
せっかくお客様と直接お会いしお話しできる貴重な機会なので、私はワークショップにお申し込みくださった全員に必ず、同じ質問をしました。
「どうして、この金継ぎワークショップに参加しようと思ったのですか?」
京都にはたくさんのアクティビティがあり、伝統に触れるようなコンテンツも多い中、どうして金継ぎが選ばれたのか。
16日間、毎日毎日、この質問を繰り返していくうちに、新しい発見がありました。
- ただの「和体験」ではなく、「意味のあることをしたい」
- 消費ではなく、「心に残る時間を過ごしたい」
- にぎやかな観光地から少し離れて、「静かな場所で、自分と向き合いたい」
つぐつぐを2020年に立ち上げて以来、たくさんの方のニーズを聞いてきましたが、「金継ぎに求めるものが変化してきている」あるいは、「このような潜在的ニーズがあったのに、私は気づききれていなかった」と感じました。
同時に、どんなに忙しくなっても、データの集計から学ぶだけでなく、お客様一人ひとりの声を直接聞くことの大切さを思い知らされました。
第2章 AIに導かれて金継ぎを体験したお客様の話|Something Meaningful

今回の京都イベントで、特に印象に残ったお客様がアメリカから来たカップルでした。
彼らはこう話してくれました。
Actually, I didn’t know about kintsugi at all.
I just asked AI for something meaningful to do in Japan.
Then I found kintsugi, and I found you.
金継ぎという言葉すら知らなかったのに、「日本で何か意味のあることをしたい」とAIに尋ねたところ、
AIが“kintsugi”という答えを返してきたそうです。
そこからさらに検索し、つぐつぐを見つけてくださったとのことでした。
この話を聞いたとき、私は本当に驚きました。
「京都のおすすめ体験」「日本 伝統文化」などの具体的なキーワードではなく、
“Something Meaningful”という抽象的な問いに対して、AIが金継ぎを提案したということ。
その金継ぎの中から、つぐつぐを選んでくれたということ。
ちなみにつぐつぐは、1日体験金継ぎワークショップに関して現在までに広告を出したことがありません。
情報の渦の中から私たちを見つけてもらえたのは、これまで積み重ねてきたことを誰かが評価してくれていたり、口コミがあったおかげなのでしょうか。
その情報がAIの回答にも反映され、彼らの目に留まり、「ここだ」と感じて予約してくださったわけです。
また、つぐつぐのワークショップは完全前払い制です。
お一人おひとりにしっかり準備をし、心を込めた時間を提供したいからですが、
決して安価な体験ではないため、「ちょっと気になるからポチッ」という軽い気持ちでは申し込みづらいはずです。
つまり、彼らは金継ぎのことをよく知らない状態にもかかわらず、AIの答えを信じ、つぐつぐを信じて来てくれたということになります。
AIが「意味ある体験」として金継ぎを提案し、
知らなかった文化に導かれるようにして足を運んでくれた一組のカップル。
そこに至るまでの偶然や選択の積み重ね、そしてご縁の流れを思うと、
私は自然と「AIと金継ぎ」というテーマを意識せずにはいられなくなりました。
第3章 AI時代における金継ぎの意味

AIは、大量のデータから「もっともらしい」文章や画像を生成することが得意です。
しかし、「意味づけ」や「哲学」の領域では、まだ人の心を本当に理解して動かすことはできないのではと思います。
金継ぎで修理する器には、その人だけの物語があります。
- どこで出会い、誰から贈られた器なのか
- どんな食卓で使われてきたのか
- どの瞬間に割れてしまったのか
- その時、どんな感情がそこにあったのか
私たちつぐつぐはこれまで、金継ぎという技術をもって単に修理するだけではなく、こういった物語やお客様の気持ちに沿って活動してきました。
改めて、数年前に自分が書いた「金継ぎの哲学」という記事を読むと、未熟な内容だったなぁと恥ずかしく思いましたが、
数年経ち、たくさんの人と出会い、失敗も多く経験してきた今、以前の記事に付け加える形で、最近金継ぎについて思うこと・伝えたいことを5つ書きたいと思います。
1. 金継ぎは器だけでなく、人の心と物語を受け継ぐ

つぐつぐの金継ぎ師は、単に「割れを直す」技術者ではないと思っています。
金継ぎには日本の美意識である侘び寂びが深く関わっています。
不完全さや経年変化を肯定する考え方です。私たち人間に置き換えると、老い・傷・欠けを隠すのではなく、強みにします。
金継ぎは、過去の傷を乗り越えるだけでなく、その痕跡を活かして、「欠点」から「美」へと昇華させるのです。
靴や腕時計の修理のように、壊れたマイナスをゼロへ戻すだけではなく、プラスに変える。
ただの修繕ではなく、負の歴史に意味を持たせ、希望に変える技法なのだと思います。
AIは、過去の似たパターンから「それっぽい意味づけ」を提案することはできますが、その器に込められた持ち主にしかない思いや、修復されたあとに生まれる価値の解釈まではできないと思います。
そういった、人間にしかできないことを考えられる金継ぎ師に修理されるからこそ、器が美しく蘇るような気がします。
少なくともつぐつぐの金継ぎ師には、お客様の気持ちに寄り添える倫理観を持つことを徹底的に伝えています。
金継ぎとは、器を直すことを通じて、持ち主の心や思い出を修復する行為だと思っています。
そして技術だけでなく、直った器をお返しするときにお客様を笑顔にできる接客ができるかも重要だと思っています。
「直ったんだからこれでいいでしょ」という、上から目線の職人の態度では、決していけないと思っています。
割れた器をお預かりするときの会話から始まり、お返しする対応まで、お客様がどうしてこの器を金継ぎ修理たいと思って持ってきてくださったのか?という心に寄り添うよう、細かいところに強いこだわりがあります。
まだまだ私たちは完璧ではなく、不手際もありますが、
つぐつぐの金継ぎ師全員が、絶え間ない努力でお客様を感動させられるよう、これからも成長し続けていきたいと思っています。
捨てない決断は、SDGsのためじゃない

私たちが修理を依頼されてお預かりする器は、「とても高級な器」ではないことが多いです。
そして、金継ぎ修理代の方が、高額になります。
元値と金継ぎ代を比較すると、金継ぎ修理をあきらめる人も多いのですが、
器そのものの値段は安くても、替えがきかない思い出を背負っていることが多いです。
「母の形見だから」「結婚祝いにもらった器だから」「彼氏と旅先で一緒に選んだもので二度と同じものは手に入らないから」・・・などといった理由で修理に持ち込まれます。
持ち主は、その器を割ってしまった時に「捨てる/残す」を決めなければいけません。
器の購入価格より高額な金継ぎ修理を選ぶということは、それぐらい大きな理由や思いが詰まっています。
今日本では、SDGsやエコの観点から金継ぎが再び注目されています。
しかし、私の考えを正直に言うと、金継ぎが広まったからといって、国全体のゴミの量が劇的に減るわけではないと思います。
器一つを伝統的な金継ぎで直すことは、それくらい手間と時間がかかるからです。
だからこそ私は、「割れた器は全部金継ぎしましょう」とは思っていません。
割れた器の中には、「ありがとう」と言って手放し、また新しい器を迎えるのも、すごく良い選択だと思います。
ただ、人生の中で一つでも、「これはどうしても捨てたくない」と思う器があるなら、そこに金継ぎという選択肢があるよということを知っていてほしいです。
その器を「残す」と決めること。
お金と時間をかけてでも蘇らせたいと思うこと。
その決断の裏側には、その人の価値観がはっきりと現れます。
そして、修理を手がける金継ぎ師には、AIには背負えない大きな責任があると思っています。
AIの世界では、シミュレーションを何度でもやり直すことができます。やってみて違ったら、戻せばいい。
しかし金継ぎには、器に一度手を入れたら、元には戻せない工程があります。
持ち主も、その傷跡が金色になったらどんな表情になるのか、金継ぎする前には想像がつきません。
責任という怖さもありますが、金でよみがえった時にきっと美しくなると信じます。
持ち主が「捨てないことを選んでよかった!」と思ってほしい。
きっと感動してくれると思って、私たちは日々器を継いでいます。
3. 「割れるのが怖い」からの解放──金継ぎが変える“買う”行為

金継ぎが直接ゴミを減らすエコ・SDGsではないとしても、私には別の考えがあります。
それは、買う時の決断の変化です。
「割れるのが怖いから買わない・使わない」からの解放です。
私はお客様から、よくこういう話を聞きます。
- 子どもが小さいから、高い器は怖くて使えない
- 割れたら面倒だから、結局プラスチックで済ませてしまう
- 素敵な器を見つけても、「どうせ割るから」と買うのを諦めてしまう
お気に入りの器を買ったのに、「割れるのが怖いから食器棚の奥にしまったまま」というのは、とてももったいないことだと思います。
割れても、金継ぎという方法で蘇らせることができると知っていれば、思い切って質の良いものを購入できますし、その器を日常使いしやすくなります。
「割れない器」「安い器」を選ぶという考え方から、「本当に好きなものを買って、ちゃんと使う」という方向へ、背中を押してくれるのが金継ぎなのかもしれません。
そういう意味で、安いものを大量に買って、ポイ捨てするマインドから、「好きな器と長い時間をともに過ごす」という豊かさを取り戻すきっかけになります。
AIは条件に合わせて「最適な器」をコスパよく提案してくれるかもしれません。
しかし、「どの器と、自分の人生の時間を重ねていくのか」という問いに対して答えを出せるのは、やはり人間だけだと思います。
4. ゆっくりであることの価値

AIやインターネットは「速さ」を競っています。
検索すれば一瞬で情報が出てきて、画像も数秒で生成されます。
一方、漆を使った伝統的な金継ぎは、ゆっくりで手間暇かかる作業です。
数ヶ月にわたって何度も何度も同じ作業を繰り返します。
一つの作業をした後、漆を乾かすために数日から数週間待ちます。
しかも、美しい仕上がりのために、途中で前の工程に「戻る」ことも当たり前にあります。
瞬間接着剤なら、数秒でくっつき、1日で完成することもあります。
金継ぎに時間がかかることを、私は最初は短所だと思っていました。
しかし、今私は次のように感じています。
- 乾くのが遅いからこそ、塗りや蒔絵を、集中して落ち着いて作業できる
- 割れを接着した後、数時間・1日経って少しズレていたら、押して元の位置に戻すこともできる
合成接着剤を使って割れた器を直した人が、つぐつぐにその器を持ってきて、「本物の金継ぎでやり直してほしい」というご依頼がよくあります。
その理由を聞くと、「自分で直したんだけど、合成接着剤がすぐ固まってしまったから、ずれたままになってしまった。」「確かに直ったんだけど。なんか醜い」というのが多いです。
伝統金継ぎは、ゆっくりであることが、実は大きなメリットになっていると気づきます。
私はつい効率性・生産性を求めてしまうのですが、金継ぎの各工程ではゆっくり長く乾かした方が、漆は強固になりまります。
漆は合成接着剤と違い、1ヶ月、1年、10年、100年と、年々強くなる不思議な性質をもつからです。
金継ぎの価値は、速さを追求する時代へのアンチテーゼになっているのかもしれません。
5. 金継ぎは心が「ととのう」時間

最後に、私がもっとも強く感じている「金継ぎの作業そのものが持つ力」について書いて締めくくりたいと思います。
金継ぎワークショップに参加された方の感想を聞いていると、多くの方が
「久しぶりに頭が空っぽになりました」
「仕事のことを忘れられた」
「手を動かしていると、だんだん心が静かになっていく」
と、口々に伝えてくださいます。
金継ぎは表面的には「器を修理する行為」ですが、内側では、自分の中に意識を向ける、小さな儀式のような役割を果たしているのかもしれません。
日々の忙しさから一歩離れ、目の前のヒビに向き合い、ただ手先に集中する。
その時間の中で、自分の内面が少しずつ整っていく感覚があります。
これは瞑想やヒーリング、あるいは芸術療法に近い作用ではないかと、個人的に感じています。
金継ぎのための時間を確保すること自体は簡単ではありませんが、
一度作業に没頭してしまえば、それは自分自身が「ととのう」ための貴重な時間になるのだと思います。
自分の手で最後まで仕上げる喜び——自己効力感と金継ぎ
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昔、ある60代の男性にこう言われたことがあります。
大企業で長く働き、多くのプロジェクトを成功させてきた方でした。
「分業が進んだ会社では、自分一人で何かを最初から最後まで仕上げることがほとんどありませんでした。でも金継ぎをやってみて、壊れた器ひとつを自分の手だけで直すことがどれほど大変かを知りました。そして直せたときには、自分でもできたんだと、大きな喜びがありました。」
これはまさに「自己効力感」と呼ばれるものかと思いました。
金継ぎが人に小さな自信を与える、心理的な力だと思います。
金継ぎが生活に根づく——自宅に金継ぎ机をつくる人たち

最近では、海外から短期滞在で来日し、つぐつぐの教室に通った後、帰国してから
「自宅に金継ぎ専用の机をつくりました!」
という報告と写真を送ってくださる方がいます。
つぐつぐの教室の道具の配置をそのまま再現し、日常に金継ぎの時間を取り入れているのです!
金継ぎは、じつはそれほど広いスペースを必要としません。
50cm × 60cm 程度の机があれば十分で、必要な道具も多くはありません。
なぜなら、ひびや割れの隙間を埋めるだけで、少量の材料しか必要としないからです。
金継ぎとミニマリズムの親和性——少ないもので美しく整える

戦後の昭和の時代の日本は、物をたくさん持つことが豊かさの象徴だったと聞いています。
しかし現代では、少ないもので暮らす「ミニマリズム」こそ贅沢だという価値観が広がっています。
実は私自身、大変なミニマリストです。
…にも関わらず、金継ぎにハマった時には、「なんか役立ちそう」な色々な道具を買いたくなってしまいました。
ですので、皆様の気持ちはよくわかります。
これまでは「自由に楽しく金継ぎしてほしい」という思いから、金継ぎ教室では机の上の整理整頓についてあまり言ってきませんでした。
しかし最近、作業場を整えること自体が、金継ぎにとって、とても大切であると感じるようになりました。
道具が机の上に増えすぎて散らかると、うっかり漆が器についてシミになったり、水の入ったコップを倒したりと、不要なミスの原因になります。
つぐつぐの金継ぎ師には、その思いを強く伝えています。
整った空間は心を整え、作業の失敗をなくしてくれます。
必要なものだけを机に出し、不要なものは都度片付け、1つの工程が終わったら乾くのを焦らず十分に待ち、落ち着いて作業を進行していけたら、どんなにバキバキに割れた器も美しくよみがるように思います。
金継ぎが“道”へと近づきつつある感覚

話は少し変わりますが、日本には古来より茶道・華道をはじめとした「道」が存在します。
一方で金継ぎは、流派も派閥もなく、自由な世界として長く続いてきました。
ところが、金継ぎを深く学べば学ぶほど、私は最近こう感じています。
金継ぎも、ひとつの「道」に近づきつつあるのではないか、と。
- 手先に心を集中させること
- 作業場を整える姿勢
- 心を静かにする時間
- 傷と向き合う思想
- 器を尊重する所作
これらはすべて、茶道や華道に通じる「心身を整える文化」に近いように思います。
金継ぎには、単なる修復技法以上に、人の心を整え、日常を調え、ときには生き方そのものに影響を与える力がある気がします。
だからこそ私は、この金継ぎの奥深い効用をもっと多くの人に知ってほしいと思います。
このテーマは、今後も経験を詰みながら、さらに深く掘り下げていきたいと考えています。
終わりに:AIの時代にこそ「意味のある無駄」に価値がある

京都の期間限定イベント中、何名かの海外のお客様がこんなことを言いました。
「京都中を歩いたけれど、どこも外国人でいっぱいで疲れてしまった。」
「僕は他の人が行かない場所に行き、ここに住む日本人が本当に行うことをやりたいんだ。」
インターネットで検索すれば、「ベストスポット」や「京都おすすめアクティビティ」など、正解はすぐに出てきます。
だから観光客はみな同じ場所に行き、同じ体験をし、混み合います。
その中で、ただひたすら割れた器と向き合う時間を選ぶというのは、かなり他の人がやらないことかもしれません。
その「意味のある無駄」のような時間にこそ、AIには生み出せない、深い価値が宿っていると思います。
器に触れ、手を動かし、自分の心と向き合う時間そのものは、どうしても人間にしか作れません。
効率化され続ける社会で、あえて手を汚し、時間をかけること。
「コスパ」では説明できない体験に、お金と時間を使うこと。
多くの人がやらないことを、あえて選ぶこと。
AIの時代だからこそ、金継ぎのような「意味のある無駄」が、ますます価値を持つようになってきたのでしょうか。
これからも私は、AIとうまく共存しながら、人にしかできない「金継ぎの時間」を届け続けたいと思っています。

(※冒頭にも掲載した、この黒い壺2つの画像は生成AIではありません。右が金継ぎ前(Before)、左は本当に金継ぎした壺(After)の写真を並べたものです。)
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